■ 長坂町の家 (武家屋敷の再生) ■弘前市中心部の閑静な住宅街にある、江戸末期から続く武家屋敷を、増改築した建物です。
古い建物を探していた施主は、この土地と建物を一目で気に入り、買い求めました。
手を加える必要がない所は、そのまま残し、現代の生活や自分たちの感覚にどうしても合わない所は、改築と少しの増築で解決しました。
それから、古(いにしえ)の日本家屋の心地よい記憶を継承するため、解体材は出来るだけ再利用しています。
例えば、板材は床や外壁に利用しています。
建具も、それに合わせ枠を造り再利用しています。
基礎として使われていた石は、雨落ち砂利の押さえとして活用しています。
それに、土壁や三和土(たたき)や敷石など、昔からの工法を取り入れている所もあります。
新たに製作した家具や建具も、無垢の杉材で造りました。
新旧両方の良さを取り入れた、ある意味最も贅沢な住まいのような気がしています。

前面道路から見た所です。
左端に、2台分のカーポートとその為の門を設けましたので、それに合わせ、薬医門を右方向に移設しました。
道路のレベルが昔に比べ高くなっているので、門の嵩上げも行いました。
ここから見える住宅部分は、手をつけておりませんが、正面に見えるのは来客用の玄関です。

車用の門を閉じた所です。
4枚の折戸は、既存の塀や薬医門に合わせ、黒く染めました。
庭は、既存のままです。

車用の門を内側から見た所です。
床には、以前から敷地にあった石と、石のむろじさんに協力して頂いた石を敷いております。

カーポートから新しい玄関を見た所です。
右端の建物は、既存のままです。

玄関を正面から見た所です。
屋根上に、天窓と時計ストーブ用の煙突が見えます。
正面壁は古来からの方法(小舞+土壁)を下地とした漆喰と、青森ひばの腰壁です。

玄関の引き分け戸を開けた所です。
庭と一体化した使い方も出来ます。
引き分け戸の上の欄間を開ければ、外出時でも自然換気を行う事が出来ます。
左側には、縁側が見えます。

右半分は既存のままですが、左半分はポーチ部分だけ増設した玄関です。
ポーチの柱と梁は、青森ひばです。

ポーチの床は、古来からの工法にこだわり、コンクリートを使わずに石だけで仕上げました。
種類は、黒絹石という御影石で、石だけでも安定するように厚さは45mmあります。
柱脚は、元々あった石臼を再利用した物です。
左上は屋根の雨水を受けている樽で、庭への散水に利用しています。

増築部分から、玄関方向を見た所です。
漆喰壁は、面積が大きすぎるとひび割れしますので、横桟を入れ、小割りにしています。

増築部分を南西角から見た所です。
出隅は、青森ひばの柱を現しにしております。
左端は既存蔵への渡廊下です。
雨落ちの見切りに使っている石は、解体部分の床下から出て来た物を再利用しました。

西から見た所です。
西日対策も兼ね、窓面積は小さく押えています。
オイルタンクは、高さも低く、最も外観を阻害しない物を選びました。

既存の蔵への渡廊下です。
渡廊下を通り抜けて、そのまま裏へ抜ける事も出来ます
構造は新しいのですが、外壁と建具は既存の物を再利用しました。

増築部分を裏から見た所です。
手前は渡廊下です。
こちら側の面も、既存の壁と建具を再利用しています。

同じく増築部分を裏から見た所です。
奥の庇の出が大きな建物は、蔵です。

玄関です。
ここは改装前は居間でしたが、昔の平面付きの地図を見ると、元々はここが玄関だった様です。
ここでも、来客とお茶を飲みながら、くつろぐ事が出来ます

玄関から、座敷方向を見た所です。
床は、解体部分の床板を再利用しました。
玄関引き分け戸からの光は抑えられていますが、天窓を設けましたので明るい空間になりました。
左の襖は、元のままです。

土間床は、古来の工法にこだわった土の三和土(たたき)です。
時計ストーブは、暖房の他に、調理器具としても活躍しています。
解体によって出た木材は全て、仕上として再活用するか、薪として利用しています。

正面に見える家具は、既存の水屋箪笥を修理した物で、下足箱として活用しています。
その奥の建具は、既存の物を再利用した物で、ここからリビングに入ります。

床板と上框は、解体材の再利用です。
内部は、下足箱として利用しています。

床板の一部を取り外して、収納として利用しています。

この柱は、下を継ぎ足しています。
柱脚には既存の石臼を再利用しています。

リビングから玄関方向を見た所です。
左の本棚は、県産の杉の無垢板を加工して作られた本棚です。

玄関方向から見たリビングです。
手前は、元々キッチンや洗面・浴室だった所を改装した部分で、奥は増築した部分です。
以前は平らな天井で圧迫感があったのですが、天井裏には黒光りする立派な梁がありました。
屋根に合わせ勾配天井とし梁を見せましたので、開放感があります。
壁と天井は漆喰です。

左側は、増築した縁側です。
障子も既存を再利用しました。
縁側と障子を通した光は、柔らかく拡散し、部屋全体を照らします。
構造材は、出来るだけそのまま使用し、構造的に不足している部分は補強しています。

増築部分を奥から見た所です。
増築の構造は、県産の杉と青森ひばを使用しています。

リビングの一部です。
家具は、全て県産杉の無垢板です。
上は、存在感がある黒壁でしたので、そのまま残しました。
巾木も、既存の野地板材を再利用しています。

既存の水屋箪笥を、食器戸棚として再活用しています。

床は杉の無垢板を使用していますが、愛犬が歩きやすいように、取り外しの可能なコルクタイルを敷いています。

縁側です。
ガラス戸も障子も、既存の物を再利用しました。
一部に、施主さんお手製の取り外し可能な防虫ネットがあります。
天井に見える蛍光灯のような物は、上げ下げ可能な物干し竿です。
床は、解体部分の床板を再利用しました。

縁側からリビングを見た所です。

リビングから洗面に向かう廊下を見た所です。
左側には、ロールブラインドで隠す事の出来る洗濯機置場と、WCがあります。

洗面です。
カウンターは、ケヤキに漆を塗った物で、洗面器は理科の実験用です。

蔵の方向へ行く為の渡廊下です。

渡廊下の一部です。
垂木には、物干し用のフックを4ヶ所、取付けています。
外壁は、解体建物の壁材を再利用しました。
右側の一部壁には、昔の新聞紙が貼られているのが見えます。
左側の壁は、既存の渡廊下です。

夜景です。

断面図
長坂町の家が、「2013年 日本建築の美」という全国版のこよみに採用されました。

改修前のこの建物は、基礎は玉石を並べただけですし、構造としての壁は一切ありません。
床は、地盤の不等沈下により傾いている所もありました。
現代の木造建築の基準から考えれば、これまで壊れなかったのが不思議に思えるような建物です。
しかし、これまでの幾多の地震や風雪に、しっかりと耐えてきました。
おそらく、古来から受け継がれて来た匠の知恵と技とで、ガッチリと組み合わされた太い土台や柱・梁と、代々の住人が注いで来た愛情とで、これまでの長い年月を乗り越えてきたのだと思います。
しかし、柱や梁などに比べると、床根太や屋根垂木などの主ではない構造材は、意外な程小さな部材でした。
根太や垂木が折れた時は、そこだけを直せば済みます。
しかし、主となる構造部材が壊れた時は、建物全体の崩壊に直結すると言う事を、いにしえの匠は充分に理解していたのだと思います。
お風呂の排水管が外れていたらしく、そこだけは土台も含めボロボロでしたが、主となる構造材には、ほとんど痛みは見られませんでした。
建物を守る為の工夫は、他にも沢山見られます。
低く深い庇は、外壁を雨から守っています。
玉石の基礎は、床下に湿気を貯める事がありません。
内外ともに構造材を現しにした壁(芯壁)は、木材の呼吸を妨げません。
それから、建物を囲うように巡る縁側は、建物本体を雨風から守る働きの他に、内部の住み心地を快適にする効果もあります。
本物の素材は、何度でも再利用できます。
少々煤けても、それの持つ本来の美しさは変わりません。
障子を透過した光は、穏やかに空間を包んでくれます。
畳に座り、縁側を通して庭を見たときには、内部と庭が一体化したような心地よさを感じました。
近代から現代に掛けて、人間の生活様式も、建物の形も劇的に変わりました。
それに伴い、先人の残してきた物を顧みる機会が、激減した様な気がします。
本当の豊かさとは,何なのだろう。
我々はもう少し謙虚に、古来からの知恵に学ぶべきではないだろうか。
この建物を通して、そのような事を改めて感じました。
所 在 地 弘前市長坂町
延床面積 284㎡
増築面積 50㎡
改装面積 63㎡
その他面積 171㎡
構造規模 木造 2階建て
竣 工 2010年12月
施工会社 (株)村上組
次の仕事
「春 日 町 の 家」 へ。
ここに掲載されている写真などの著作権は、アラハバキ建築研究所にあります.
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- 2010/11/09(火) 11:57:09|
- 仕事・・・住宅|
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